「老親問題」は加速度的に深まる?!

脳の衰え?パズル

先週はお盆で帰省。

帰省毎、加速度的に深くなる田舎の「老親問題」。

実母、義父母 みな80代に突入。

75歳以上を後期高齢者と括られたとき、機械的に線を引いたように思ったけれど、親たちをみていると、75歳は確かに分かれ目に見える・・・

人によるとは思うけれど、やっぱり75歳を境に、ぐっと老いは深まるように思う。

言い換えれば75歳までは大丈夫な家系は大丈夫。

なにかあったらそれは事故のうち。

しかし、75歳を過ぎたら、後期高齢者のステージ。

身体的にも気持ちのうえでも、認知面でも。

実母、義父母とも、80歳越えのわりにあらゆる面で、優秀(笑)ではあるけれど・・・

それでも、80越えの親と話していると、「年寄りってこういうもの」と感じることばかり。

なんといっても話の脈絡が無い!

主語がない、話が飛ぶ、時系列が不明

全国から「そうそう」という同意の言葉が聞こえてきそう

・・・ですよね(笑)

そしてこの思いは年々強くなる。

最初は「お母さんも歳をとったな~」というしんみりした気持ちから

今じゃ「来年はどんなになってしまうんだろう」という恐怖に近い感じ方に。

はっきり言えば、近い将来の自分が背負う負担への恐れ。

身も蓋もなく言ってしまえば、疎ましい・・・

確実に深まっていく親の老い。

気づいたときから進んでいるけれど、

ほんと75歳からは加速度つきます・・・

自分だって通る道だよね

とはいえ、50歳越えのわたしには、自分にも思い当たる節あり。

歳をとって経験を重ねた分、「独りよがりの話しをしない」「人の話はまず黙って聞く」

こんなあたりまえのことをわきまえているつもりなのに、

同世代と話していると「アルアル」

一方的に話したいことをしゃべり続けている50代の女子会

わたしたちが老人となるころを想像してみる。

認知症の薬は実効レベルのものが開発されるだろうし、体力、筋力の衰えに効く器具なり薬なりもでてくるのだろうけど・・・

それでも不老不死は我々の生きているうちには無理だろう。

不死は望むところでもないしね。

老親の姿は確実に自分が行く道。

いやはや、すでに踏み入れているのだなという自覚は必要だと思います。

関連記事

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする