結局毒親の話なのか・・・

「アニバーサリー」窪美澄著と「対岸の彼女」角田光代著を昨日、今日で読了。

夏の終わりから図書館がマイブームで、女流作家モノを中心に10冊近く続けて読みました。

やっと秋が始まった感のある今、もう食傷気味。

上記二冊ともとっても良かったんですよ。

でももうしばらくは小説は読まない。

読むなら村上春樹かミステリみたいな、まるで違うものにしようと思う。

生きづらさの原因は

現代の女流作家のモノで売れているのって「生きづらい女姓」の話で、「原因は毒母に育てられたから」ってものが多くありませんか?

小説の筋としては、辛い子ども時代の記憶語りと並行して誰かとの出会い、交流のなかで過去を見つめ直し再生していくっていう。

パターン化しているから悪いって話ではなくって、そういう話が求められているんだな~としみじみ思ったってことです。

それで、彼女たちの再生を支えるのは決まって女性だったりする。

男の影薄っ

それが一番の感想だな。

女の生きづらさを救うのは、母とは違う女の生き方の中にしかない!みたいな。

わたし自身は10歳くらいから、「親は完璧ではない」と気づいていたので、それほど影響も受けずに済んだ気がします。

「親なんかに左右されたくない」という気持ちで思春期を過ごしたので、「今は養ってもらうのは当然」だから、「テキトーに顔もたてておけばいいだろう」なーんて生意気な高校生でした(笑)

「親の目線」は親には親の事情も感情もあって別だってことと、

「親の記憶は自分とは違っている」ってこと。

そこがわかってこその大人よっ

とはいえ「親の記憶」に愕然として、やっぱり「子どものことなんかわかっちゃいなかったんだ」って。

その辺は小説でも肝のところだと思う。

母親と娘、認め合うのはなかなか難しいもんです。

精神を病んでいるとか極端な貧困とかの場合は別にして(←ここ強調)、親子もやっぱり人間同志だから相性ってあります。

「そういうのって、まともに食らわず逃げちゃえばいいのに」って思っていた若い頃。

テキトーでお気楽ですが、裏返せば深みが理解できない薄っぺらだな~とコンプレックスでもあります。

なんせ元祖スキゾキッズだから(笑)

30年ぶりに思い出したこの言葉。

きっと毒親、毒母なんて言葉もそのうち聞かなくなるんではないかと思います。

女の生き方のバリエーションが広がることが救いとなると思うので。

普遍的に見える問題は確かにずっとあるけれど、やっぱりクローズアップされるか否かは流行ってある。

だから毒母問題は今の40代、50代の女性の流行りで、30代より下の流行りは「虐待」かな?

「流行り」は言葉が悪いですね、単純に「問題」はでいいのかな。

夏の終わりに図書館に行ったのは、三浦しをんの「あの家に暮らす4人の女」という本を探しにでした。

でも、これ新刊で貸出中が続いているもよう。

せっかく来たからと、続けて借り出した小説ですっかり内省的な気分になってしまった一か月。良かったのか悪かったりたのか?

「あの家に暮らす4人の女」は、書評を見る限り愉快な話っぽいので、Amazonでポチることにします。

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